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三十代の初体験 | 羽田圭介 |本 | 通販 | Amazon
羽田圭介さんの「三十代の初体験」です!
30代となった著者がこれまでやってみたかったことをやってみて、それらの初体験についてまとめたエッセイ集です。
自分はこういう生活を送る人間だ、と決めつけてしまっている部分が、他にもあるかもしれない。小説の執筆だったり日々の家事など、自分で組んだルーティーンを淡々とこなせてしまう性格だからこそ、ただ惰性で続けていることを必要以上に大事にしたり、新たな選択肢や経験の機会をはなから除外してしまっているところが、あるのではないか。
~中略
三十代前半は、体力が要るようなことはもちろん、身体の一部である脳を用いて何かを習慣化したり習得したりすることが可能な、最後のスタート年齢となるかもしれない。そのきっかけづくりも兼ねて、本エッセイの連載はスタートした。
「三十代の初体験」 羽田圭介 はじめに より引用
イントロから最近自分がぼんやりと感じているようなことを言語化してくれていて驚いた。加齢によって人は頑固になるとよく言うけれど、自分もその例に漏れず良くも悪くも価値観は凝り固まってきているように感じる。
幸いなことにまだ新しいことを覚えづらくなったとかはないのだけれど、これから年齢を経れば経るほど、習慣化や習得することへのハードルは上がるのだろうなと薄々と感じています。
あと著者が前々から興味を持っていた卓球教室に通う回ではこんな表現がありました。
重いものを持ち上げたり、筋肉を少しつけても、身体に技が蓄積されていく前進が感じられない。脂肪の減少や筋肉の増加といった生理的な増減よりも、脳や神経に刻まれる技を身に着けたい。屋内にて省スペースで行える卓球に魅力を感じていた。
P107より引用
昨年11月から、10年くらい弾いていたベースの練習を再開させました。3年前に長女が生まれて以来、忙しかったりコロナ禍で弾く機会がなくなってしまっていたベースを現時点で人前で弾く予定があるわけではないものの、また触れるようになったんですよね。その理由を考えてみると、羽田さんが卓球教室に魅力を感じた理由と同じだなと思いました。
そう、脳や神経に刻まれる技を身に着けたい。僕も30代後半となり、色々と価値観が変わったのかもしれません。
誰のためではなく、自分のためにベースを上手くなりたいと思ったんですよね。
昔はバンド組んでライブ出るために練習という流れだったのが、最近はクラシック教本を元に難しいフレーズを淡々と練習する日々です。当初は「こんなん弾けるわけないやろ笑」というような超絶フレーズをテンポ落として練習しているうちに少しづつ弾けるようになってきたあの脳がスパークする感覚をちょっとづつ味わっています。
ベースに関しては初体験から得られる驚きや発見よりも、突き詰めて得られるゾーンの喜びを得たいというか。
まあそこまで行きつくにはあと何十年とかそういう世界なんでしょうけども。アマチュアベーシストだけど、アマチュアなりに人に驚きや感動を与えられるようなレベルになりたいなと最近は思ったリりラジパンダリ。
そしてもう一つ面白かった著者の初体験があります。猫レンタルの回。もともと興味のあった猫をいきなり飼うのはハードルが高いから、レンタルしてみて体験してみるというもの。
数日間のレンタルを経て、著者はこう綴ります。
リクがいなくなってから、執筆やその他の仕事だけでなくジムや習い事へ通うのも再開した。そして僕は、ある程度辛さやわずらわしさが伴っても、自発的に行動し、自分の行いで自分の行く末を切り開いてゆくことのほうに、本質的な幸福や充実感を覚えるのだとあらためて感じた。
~中略
もうこの先に人生の楽しみなどないと諦めるような年齢だったら、己の幸福を猫に頼るのもありだとは思う。だが、三十二歳の自分が幸福を猫に頼ることに対しては、懐疑的に思えた。人間は獣ではないのだから、己の行いにより、人間的な幸福を感じられるよう、努めるべきだろう。自分以外の生き物に幸福を頼るとしたら、それは種を同じくする自分の子どもで充分だ。
P126より引用
自分はペットを飼っていないけれども、この感覚はなんとなくわかる気がした。ペットどうこうではでなく、まだまだ自分以外の存在に幸福を依存するのは早すぎるかなと。
数年前に自分に子供が生まれてからそれを猶更思う。子供が生まれて子供の幸せを願う一方で、自分の幸福の拠り所は子供だけではないよな、と。自分の人生はまだまだ終わっていない。むしろこれから中年期に差し掛かり、よく言えば経験や考えをもっともっと拡げたり深めていくことはできるだろう。
それに伴う気力と体力は必要だろうけれども苦笑
ありきたりな言い方ではあるけれど、自分の幸せは自分以外に依存するのではなく、自分の人生で生み出していきたいと思った。
その他にも著者がやってみたかったけどやれていなかったことをやってみたことに対する洞察や経験したことによる変化を読むのはなかなか面白かったです。
初体験に過剰な期待を抱いても仕方がない、ということも本連載を通じて学べた。理解できなかった、興味を持てなかったものに対し心を開いていく過程も大事だが、もっと大事なのは、そのときの自分が持っているものの中で最大限深化させてゆこうとする姿勢のほうだ。
~中略
だから初体験は必ずしも必要ではないのだが、やはりやってみると、楽しい。生きていればおのずと、初めて体験することはこれからもどんどんやってくるだろうし、能動的に自分から跳び込んでみたくもなるだろう。それらを自然に、楽しんでゆければと思う。
P323 おわりに より
改めて自分自身も年を取るごとに日常が本当に日常と化すなと感じる。冷静に考えれば日常を平凡に過ごすことができるのは幸せなんだろうけど、新しい発見やマンネリを打開するためには少なくとも10代、20代の頃よりも助走というかスタートラインに立つハードルが上がっている。
何をするにも「億劫だ…」というナマケモノの自分がいることは否めない。
行動パターンは自分にとってストレスのないよう最適化されつつあると言えば聞こえはいいのだろうけど、固定化されつつあると言えばそれまでである。
それを打開するのは、少し重い腰を上げなくてはならないような年齢になりつつあるのだなとしみじみおじさんのように思うのであった。
本書に触発されて、自分がやりたい初体験はなんだろうか。
- 家族でキャンプ(グランピングでも可)
- ギターボーカルにチャレンジする
- ベースで「弾いてみた」動画を撮ってみる。
- 凝ったライブ演奏動画を編集してみる。
- 野球チームを作る
- バスケチームを作る
- サックスを吹けるようになる
- めっちゃいい椅子を購入して、自宅の書斎で優雅に作業する
- ハワイに行く
- ロードバイクで九州あたりまで行きたい
- 落語教室に通う
- トライアスロンに挑戦する
- 有休取って昼間からスーツ姿のサラリーマン眺めながら富士そばで一杯(ハンチョウ笑)
- SASUKEやってみたい
- フルーツパーラーにパフェ食べに行きたい
こうして挙げてみるとフィジカル系多いですね笑 初めてやってみたいことは意外にも自分の中で根付いていることの派生なのかもしれない。、
そしてこの初体験、意外にも「一日外出録 ハンチョウ」が参考になるかもしれない笑 この漫画読んでると自分でもこれやってみたい!と思えることあったりするのでおススメです笑
大層なことじゃなくても、自分がやってみたかった初体験を意識的に取り入れていくことで若さをこれからも少しづつ保てるかもしれないなと思った。初体験から得られる楽しさや、そこから自分の持っていた経験と結合して新しい発見が生まれるかもしれないし。
時々、自分のやってみたいことリストをアップデートしてみよっと。もちろんアップデートするだけでなく、行動に移してみたほうがいいのだろうけれど。
そして書いてみて、こうした自分にとって新鮮味の溢れる経験というのはお金を出さなきゃ経験できないものが多いなと思う。お金は価値と替えてなんぼであるのなら、やっぱり貯めるお金と遣うお金のバランスはいくつになっても考えなきゃいけないのかもしれないなとぼんやりと思うのであった。
30代の今だからこそ、お金を払ってでも経験したほうがいいことはたくさんある気がする…
著者の微妙な変遷の記録、とても面白かったのでぜひ読んでみてください。
それではまた。
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