らぽさんです。
最近、本質とは何か?ということを常に自問自答し続けています。
本質とは
本質(ほんしつ、希: ουσια (ousia), 羅: substantia / essentia)とは、あるものをそれたらしめる自性、乃至そうした特性から成る真実在をいう場合もある
wikipediaより引用
あるものをそれたらしめるもの、つまり言い換えるならば、それがなければそれたらしめることのない不代替性を持った存在ということです。
情報過多の現代、本質が情報をはじめとする多くのものに内包されてしまっている世の中において、本質を追い求める姿勢は今後キーとなるポイントなのかもしれません。
ところで最近、マリトッツオをはじめとする生クリームたっぷり系スイーツが流行ってますね。
生クリーム大好き党党首の僕にとっては素晴らしい時代です。
ですが、なんか最近の色々なマリトッツオとか生クリーム入ってる商品を食べても違和感が残るのです。
先日も長女の3歳バースデーケーキを余るというから仕方ないので嫌々ホール半分くらい食べたんですが、違和感が残る。いや、美味しいことには変わらないんですが、なんかこう、歯に生クリームが詰まる感じというか、ケーキの包み紙にこびりついた生クリームをスプーンでこすり取ることをしないままゴミ箱にポイしてしまうあの釈然としない感じというか、わかりますかね。まあ結局包み紙にこびりついた生クリームはしっかりスプーンで隅から隅まで余すことなくいただいたんですが。
この感覚は昔からまるごとバナナやヤマザキのスペシャルサンドを食べた時も感じている違和感他ならない。
スペシャルサンドの中に入ってるコロ助の鼻についてるような赤いやつ、あれは果たして必要な存在なのか?
まるごとバナナに入ってるバナナ、そこにある必然性はあるのか?
気になってる人とのデートの時に、なぜかお調子者の第三者が介入してきてデートが台無しみたいな…
そう…つまり…
生クリーム以外、不要じゃないですか?
最近もスーパーでマリトッツオあったからラッキーと思って買ったらオレンジピール入ってたし…昨日も長女のバースデーケーキを嬉々として半ホール食べたら中に桃が入っていて複雑な気持ちになったし…(イチゴは百歩譲って許すこととする)
ラーメンだって究めればスープと麺だけの極めてシンプルなものに行きつく。まさに本質を突き詰めた結果に他ならない。
いわんやスイーツをや?
スポンジ生地と生クリームだけの混ざりのない純粋こそが本質なのではないか?
コンビニで売ってるようなピスタチオ混ぜましたとか、果たして必要なのだろうか?本質を見失っていないか。更に言及させていただくとフルーツサンドもフルーツを入れる必要あるのか?生クリームと挟むパンが織りなすハーモニーとなる蓋然性は存在するのか?余計なもので取り繕っていないか?
複雑化の先にはブラックボックスとなった挙句に手に負えないものしか生まれない。
本質主義とはそういうことだ。
無駄をそぎ落とすと、真理が見えてくる。迷った時は物事をシンプルにすると、突破口が見えてくる。マリトッツオから生クリーム以外のものをそぎ落とすと素材のシンプルな味わいが見えてくる。ショートケーキからパインやキウイ、桃などのピースをそぎ落とすとスポンジと生クリームの優雅なワルツが口の中に広がる。本質が目の前に聳え立つ悦び。
スタバのなんとかフラペチーノ系の上にデデンとのっかってる生クリーム、あれは本質をうまく体現していて必然性しか感じ得ない。
ミスドのエンゼルクリーム、あれこそまさに、本質を内包した物質。
情報過多の現代において、僕たちは今一度歩みを止め本当に大切なものを見定めなければならない。
答えのない現代。本質は何か?という問いかけに対する答えを、これからも常に僕たちは自分で探し続けなければならないのだから。
お前は何を言っているんだ?
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