2021年夏のお話(RSウイルス)

子育て

2021年もあっという間に9月となってしまい、肌寒い日になってしまいました。

本来ならまだまだうだるような暑さがあるはずですが、もう夏も終わってしまったような感じですね…

新型コロナウイルスの影響もあり、昨年に続きほぼほぼ何もできない夏となりましたが、今年の夏の記憶を残しておこうと思います。

第二子が誕生する

7月初旬に第二子となる長男が生まれました。頑張って産んでくれた妻に感謝…

上のお姉ちゃんも興味津々で、頭を撫でてくれたり話しかけてくれます。

しばらく家族4人での生活になる予定だったのですが…

RSウイルス…

7月下旬~8月初旬

生後2週間で、なんか鼻水が結構ずるずる出るねという状態になり、これはお姉ちゃんが保育園から風邪もらってきちゃって移されちゃったかな?、と妻と話す。最初はただの風邪かと思い様子を見るものの、日に日に呼吸も苦しそうになるので「これ、本当に大丈夫?」と思い始めました。

近所の小児科に行って診てもらったところ、「RSウイルス陽性ですね」とのこと。その時、お医者さんが同時に「まいったねこりゃ…」と言っていたのを聞き、「えっ、そんなに大ごとなの?」と当時は率直に思ったんですよね。RSウイルスは子供はほぼ確実にかかるものらしいのですが、昨年は皆コロナ対策で感染症対策をしていたせいかかかる人がほとんどおらず、その反動で今年感染爆発しているようです。

「とりあえずお薬出すので、もし気になるようなら紹介状書くので大きい病院に行ってください。重症化するリスクもあるので」とお医者さん。少し不安になったものの、その時はまだ大丈夫でしょと楽観してました。

小児科からの帰り道、長男を抱えながら妻と一緒にモスバーガーをテイクアウトして家で食べる。すごい暑かったせいか、あの時のことはすごいよく覚えています。

その後、心なしかますます息苦しそうになっていて、メルシーポットという鼻水吸引機で吸って吸っても鼻の通りが全然よくならない。妻と更に心配を募らせるも、処方されたお薬飲んで丁寧に鼻水の吸引をすれば大丈夫かと思い、妻に長男を任せて自分はお姉ちゃんを保育園に迎えに行きました。

お姉ちゃんと一緒に家に帰ってくると、妻が

「なんかお腹が陥没するような呼吸しててさっきより苦しそう。これ、本当に大丈夫かな。もう一度病院行ったほうが…」と。確かにこれまでより苦しそうで顔色も紫に近い感じ。自分自身の中ではRSウイルスを軽視していたのと知識が浅かったこともあり、様子見でいいのかなと思っていました。

妻も病院に連れていくべきかどうか迷うとのことだったので、それなら連れて行こうと判断。妻も出産直後でメンタル的に辛そうだったので、心配なら払しょくしたほうがいいと思ったのです。

今振り返れば大事にならなかったからこうして思い出として残せるけど、ここから結構大変で忘れられない夏になったと思います。

見るからに呼吸が苦しそうな長男を抱えてタクシーに乗り病院へ。午前より遥かに呼吸が苦しそうになっている長男を見て不安は募るものの、大きい病院連れていけば何かしら処置をしてもらえるかなと期待してました。そして病院につき、時間外受付で「紹介状を書いてもらっているんですけど診てもらえますか」と伝える。

しばらく待たされて結局「今は医師がcovid(新型コロナ)の対応で診れません。少なくとも数時間は待ってもらうことになります。いつになるかはわからないので、違う病院に行ったほうがいいと思います」とのこと。

診てもらえないことがわかり、この辺から自分自身でも状況がかなりまずいんじゃないかと思い始める。そもそもテンパってて事前連絡もなしに病院へ押しかけたこちらも悪かったので、苦しそうにしている長男を一度病院のベンチに置いて小児救急相談#8000にかける。相当焦っていてダイヤル間違えたのかわからなかったけどなぜか繋がらず…ベンチには明らかに呼吸が苦しそうな長男がいて、「これ、このまま呼吸ができなくなったら…」という不安が一気に襲ってきて血の気が引いたのは今でも覚えている。

とりあえず落ち着かなければと思い、深呼吸。その後、紹介状を書いてもらった小児科に電話して「紹介状を書いてもらった病院に断られてしまった。呼吸がさらに悪化しててまずい気がします」と話す。すると「今からもう一度診ますので来れますか?」と。病院前でタクシーを拾って急いで向かう。

この時電話したのが17時半。小児科が18時半までだったので、もしもう少し遅かったら途方に暮れていた…タクシーの中で素人目に見ても苦しそうに呼吸している長男を抱えて、頻繁に信号待ちで止まるタクシーの中でこれほどまでに都内の交通状況を憎んだことは他になかった。

小児科に着いて再度鼻水を吸引してもらった後「どこの病院も今コロナとRSウイルスの重症化の患者さんで手いっぱいみたいなんですよね…少し私のほうで病院を探してみますね」とのこと。この時、閉院の18時半を過ぎていたにもかかわらず対応してくれたことにちょっと泣きそうになる。

別室で待っていると「見つかりました!」と別の大病院を紹介される。「改めてこの病院に紹介状書くのですぐに向かってください。多分、入院になるかと思います」とお医者さん。

一度自宅に帰り最低限の入院準備をし、タクシー呼んで再度別の病院へ向かう。

最初のタクシーの時と違い、この時は明らかに病状が悪化していたので自分自身たまらなく不安で仕方なかった。このまま長男の呼吸が止まってしまうんじゃないかって。病院までの30分が果てしなく長く感じられた。

到着後、時間外受付に行き、紹介状書いてもらったものですと伝え、待たされる。20分ほど待った後にようやくお医者さんが来て紹介状見ながら状態を聞かれる。あとパルスオキシメーターつけて酸素状況をモニタリング。90~80の間を行ったり来たりしてた。

「処置するのでお父さんは待合室でお待ちください」と言われ、近くの待合室にて待機。この間、ずっと「最悪の事態が起きてしまったら…」と不安で仕方がなかった。同時に「これ、病院見つからなかったらアウトだったんじゃないか」とも思った。嫁氏にとりあえずLINEを送って病院見つかって本当に良かったと実感した。

後は一緒に小児科病棟に付き添いで入院。確か午後9時くらいで、数時間前に長男抱えてタクシー乗ったのが遥か遠くのことのように感じられたんですよね。神経張り詰めすぎててお腹も減ってなかったけどこれは体力勝負になると思い、売店でオムカレーを買ってかきこむ。その後は定期的におむつ替えとミルクをあげてた。点滴等がつけられて痛々しい姿になりながらも、鼻水をカテーテルで吸ってもらって少し呼吸が楽そうになった長男を見て少しほっとした。

しかし翌日から状態が悪化し、深夜になると呼吸がこれまでとまた違うような呼吸になる。お腹が陥没するような苦しそうな呼吸で慌ててナースコールする。診断のところ、自発呼吸がだんだん難しくなってきているとのことで、PICU(小児集中治療室)に入ることになった。自分でもまさか集中治療室に入ることになるとは思っていなかったので、改めて大ごとになったんだなと思った。

PICUに入ったので自分の付き添い入院はひとまず終わり、自宅に帰ることになった。ほとんど睡眠を取っていなかったのでその晩は泥のように眠った。

そこから、結局10日近くPICUに入院していた。その間、家が完全にお通夜状態だったのを覚えている。今だから振り返られるけれど。

嫁氏も出産直後でメンタル低下している状態だったので、一番辛かっただろうと思う。長男が入院中は自宅でひたすら無事を祈りながら待つというような状況だったので、2021年8月初旬~中旬は本当に記憶がない。淡々と日々が過ぎ、我が家にとっては東京オリンピックの盛り上がりも遠い世界だった。

PICUから一般病棟、そして退院へ…!

その後、8月10日にPICUから出て一般病棟へ。再度付き添い入院することになる。ただ最初の入院と違い、終わり(退院)が見えていたので気は楽だった。真夜中のミルクも最初の入院時と比べごくごく飲んでくれていたので本当に嬉しかった。

入院中、長男を丁寧に診てくれたお医者さんと処置をしてくれた看護師さんたちには頭が上がらない。呼吸が苦しそうになると心配ですぐにナースコールをしてしまったんだけど嫌な顔一つせずに丁寧に対応してくれた。この入院期間中、医療関係の方々の仕事は本当にすごい仕事だなとつくづく思った。

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そして8月13日にようやく退院。少しづつ我が家に日常が戻り始め、今に至ります。

少しボタンの掛け違いがあれば入院できず、最悪の事態も起こりえたんだろうなと。

そんな最悪の事態が起こったパラレルワールドを想像すると、2021年の夏は我が家にとって悪夢でしかない。当然だけど。

幸いなことに、今のところ長男は退院してすくすくと育っております。本当に良かった!

2021年の夏はこんな感じで過ぎてしまいました。新型コロナといい、RSウイルスで入院といい、いつかそんな年もあったねと振り返られる時が来るのでしょうか。

来年の夏は子供たちにもっと夏らしいことをしてあげたいですね。

コメント

  1. […] […]

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