コロナ禍でお金は貯まったけど…
最近、今の自分にとって最善のお金の使い方は何だろうと考える。
年齢も30代半ばを超え、一応それなりに自由に使えるお金は貯めることができた。そして昨年、今年はコロナ禍によりエンターテイメントがほとんどなかったに等しい。この間、お家にいることが多かったせいか必然と貯蓄ペースも増えたと思う。
子供が二人いるのと、今後家を買うかもしれないので貯められる分には貯めたほうがいい。そう頭ではわかっていても、すべて貯蓄に回してしまうのはどうかと思う自分もいる。
お金を貯めこむことで、この時にしかできない経験や喜びをドブに捨ててないかと感じるからだ。
実は欲しいものだったり、やりたいことはいっぱいあったりする。
- ロードバイク
- いいデスクトップパソコン
- 通勤用の新しいリュックサック
- ベースとギター
- いいワイヤレスイヤホン
- 宝缶酎ハイ
- とある資格を取得するための予備校費用
- 家族でハワイに行きたい(旅行)
- 居酒屋で酒飲みたい
こうした思いはあるけど、漠然とした将来に対してできれば貯めておきたいから今は貯金又は積立NISAや投資信託等の金銭的投資に回しがちである。老後2000万問題なんかもあって、国や周りは不安をめっちゃ煽ってくるし。
いつかめっちゃお金が必要になったときに対応できるように…先行き不安だし…
いつかめっちゃお金が必要になった時というのは具体的にどんな時なん?その貯蓄を使うタイミングはちゃんと来るん?今が楽しければそれで良くな~い?
子供が進学する時?海外に留学?家を買うための頭金?一刻も早くFIREしたい?
貯蓄や投資の目的が定まってるならいい。
問題なのは貯めたはいいが、結局使わないで終わった場合にそれらお金は死に金になってしまうことだ。
明確にこれを成し遂げたい、そのためにはこれだけのお金が必要、頑張ってその分を貯める!というのなら全然健全だろう。逆に漠然とした不安という理由だけで、将来必要なのかどうかわからないお金を貯めこんでしまうのは今をないがしろにしてるんじゃないかと考えたりする。
お金は幸せになるための一ツールに過ぎないから、今使うことが幸せにつながるなら今使うべきなのではないか。将来への先送りではなく、今しかないこの瞬間。
これを自分の中で表現するために考えたところ、「若さは精神的円高状態である」という言葉がしっくりきた。
精神的円高によりお金を経験等に替えることで得られる効用が高いうちに、お金を経験や思い出に変えるのも幸せの一つの形なのでないかと。
多分、加齢により精神的な円の価値はどんどん目減りする。30歳の頃に1経験=10000円と仮定したとして、40歳で同じような経験に換算した場合、体感としては1経験=20000円くらい必要な気がする。50歳、60歳になったらもっと1経験を得るための円は必要になってくる。
以前読んだ「DIE WITH ZERO」という本の中に、思い出には複利効果があるから早い段階で経験したほうがその後の人生を豊かにするというような記述があったがまさにその通りだと思う。20代のうちに行く世界一周旅行と40台のうちに行く世界一周旅行では、前者のほうがその後の人生でその時の体験をたくさん振り返られる。そしてその思い出を振り返るたびに、その人の人生をずっと豊かにし続けるだろう。
羽田圭介氏の新刊「Phantom」にも印象的なセリフがあった。
米国株に投資し、ひたすら配当金マシーンを構築し続ける主人公に対し恋人が言い放った一言。
直幸「使わないお金は死んでいる」
羽田圭介 「Phantom」より引用
確かに将来への貯蓄や金銭的投資は必要だ。一寸先は闇だから。だからといって無意味に貯めこんだり、口座残高を増やすことに固執していては後で後悔することも出てくるんじゃないだろうか。
口座残高を見ながら呑むストロングゼロは格別!!!!
このご時世、投資しなきゃとか貯金しなきゃという同調圧力があるのは仕方ない。
しかしそれに流されて「積み立てNISA…ideco…生命保険の解約…」とゾンビのように連呼するのではなく、今の自分にとって一番活きたお金の使い方を考え、経験や思い出に変えていくことで本当の意味で豊かな人生を送れるんジャマイカ。
貯めるのも大事だけど、精神的円高状態の若いうちにお金をうまく経験や思い出に変えていきたいなと自分自身に言い聞かせるコロナ禍の今日。
家族旅行だったり、友達と早く飲みに行きたいよね~早く金使わせてくれ~
コメント
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