uさんの思い出

2022年

先日、本棚を整理していたら前の職場の時にお世話になった人の写真が納められた有志内でのリーフレットを見つけた。

懐かしいと思いながらパラパラとめくる。

そういえばこんな人だったけかと思い出す。

ユーモアがあり、ポジティブ思考な人だった。そんな思考も多分、天性のものじゃなくて心理学とかそういう本を読み漁って研究した上で身に着けているような。(uさんのデスクの上には「人たらしの心理学」みたいな本やdaigoの本が隠されずに置かれていた)

もう3年近く顔を見れていない。


前の部署で、僕はとてもuさんにお世話になったと思う。呑み仲間が欲しかったのか、僕が前の部署に異動した時に隣の係にいて、やたら僕のような30過ぎた男子を見つけては呑みにつれていこうとした笑

残業してもくもくとやっていると同じように残業していたuさんが「お、らぽくん。そろそろ終わるかい?よかったら一杯どうだい?」と声をかけてくれることもしばしば。同じ島にいたもう一人の同僚と一緒によく飲みに行っていた。

uさんは奥さんもいたけど子供はおらず、夫婦でお互い自由にやっていたような気がする。

若い子好きで、若い女の子には冗談なんだか本気なんだかわからない口調で「今度二人で呑みにいこうよ」とか言ってたな笑 奥さんいるのに大丈夫なのかと真剣に心配したりもした笑

仕事はおそらく自分自身の譲れないラインというか決して表に出さないプライドを秘めていて、妥協することはなかった人だった。チラシ作りが得意で、イベントのフライヤーや説明資料はとてもわかりやすくてシンプル。一度自分の作った資料と見比べたけど、「情報を詰め込まないほうがわかりやすくなる」ということを具体的に教えてくれた先輩だった。

僕が前の部署にいた3年間、僕より前に在籍していたuさんも異動することなく部署の長老的なポジションになっていった。

しかし、最後の1年間はあまりuさんとのいい思い出がない。前の部署は色々とあって課のスクラップ&ビルドの過渡期にあり、ほぼ同じ仕事をしていたuさんは再編で別の係になった。この年は本当に過渡期の悲惨な年で、課内における仕事の配分量もかなりめちゃくちゃで、僕の係がほぼ貧乏くじというか、とりあえずあの係に仕事振っておけという感じで辛い状況だった。

そんな状況下で立場変われば関係性も変わってしまうのか、uさんとの関係性も少し悪いものになってしまった気がする。特に課の再編時にuさんが情熱をもってやっていた仕事を僕の係で引き継ぐことになり、その扱いでかなり揉めた。仕事量等の事情を加味して、uさんがもっていた仕事の方針をガラッと変えることになり、それを知ったuさんが僕の係に来て色々と「なぜこうするの?意味が分からないよ」と文句を言われたりとさんざん言われた。

事情を説明してもわかってくれず、最終的には仲たがいに近い状態で終わってしまった気がする。事情と言っても、その時は係全体として仕事量も周囲からの扱われ方も悲惨な状況だったので、仕事に関しても自分がどうしたいかというより、これ以上面倒ごとを増やさないでくれという気持ちしかなかったのが実情だった。uさんの情熱を持っていた仕事も正直、これ以上仕事を増やさないでというのが本心だった。

「係の事情はわかったけど、君は本当にそれでいいのと思ってるの?」

当時の自分もかなり余裕がない状態で、uさんのその言葉も「部外者は好き勝手言えるけどこっちはこっちで大変なんだ」という思いしかなかった。

そのような状況下でuさんとも次第に疎遠になり、位置も離れたせいか話すことも減った。残業後に僕の後ろを通って帰る時、ちょっぴり呑みに行きたそうな雰囲気だったけど、僕がそんな気持ちがないのを悟ってか、さっさと帰るようになった。

時は過ぎ、僕も少しメンタル不調を抱えつつあったこともあって異動となった。課内の過渡期ということもあり、uさんは引き続き長老ポジションとして残留することになった。

僕が異動した年の冬、すっかり通知が鳴らなくなった当時の係のグループLINEが鳴った。

「uさんが亡くなった」

平たく言うと、インフルエンザをこじらせて病状が悪化してしまったらしい。そのまま帰らぬ人となってしまった。

だから、僕はもうuさんと会えることはない。あの時、仲たがいのような状況を抱えモヤモヤしたままuさんは逝ってしまった。

正直言うと、こんなことになるくらいだったら仲たがいのまま終わるのではなく、もっと異動してからも呑みに行きたかった存在だった。自分の結婚式にも来てくれたし、プライベートでも遊んだりもしたし。そして仕事面でも短所はあれど、それを有り余って補うくらい尊敬できるところは多かった先輩だ。チラシの作り方なり、レク資料の簡潔さとわかりやすさは群を抜いてすごかった。出てくるアイデアもお役所仕事とは異なる斬新な内容のものも多く、本当にすごいと思っていた。

こんな結末を予測しなかったからこそ、喧嘩別れのようになってもそれを修正しようとせず、後悔している。

若くして、uさんは帰らぬ人となってしまった。

uさんと残念ながら揉めてしまった引き継いだ仕事も、今となれば、引き継いだ僕たちに問題があった。当時の僕らの選択はベストな選択ではなかったと今なら振り返って自分自身思うし、uさんにとってもそう見えていたのだと思う。だから怒ったというのは、今更ながらわかっている。

あの時uさんが怒ったような惰性の仕事は二度としない、したくないと今の僕は思っている。

もう二度と会えないことだけが寂しいけれど。


先月、3周忌ということで有志でお墓参りに行った。

缶ビールを捧げ、「あの時はごめんなさい」と心の中でつぶやいた。

もうしばらくした数年後、僕はuさんと同い年になる。その時にまた胸を張ってお墓参りができるよう、生きていたい。

当たり前だけど、人には寿命がある。それがいつかはわからない。できれば言いたいことが言えなかったり、仲たがいしたままで人生を終わらせたくない。

身の回りの人間関係だって、当たり前に続く保証はないのだと考える。

uさんの笑顔が収められたリーフレットを見返して、そんなことを思った。

また会いたかったな。

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